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【緊急!】 世田谷公園周辺の犬は注目。
「イタグレ(イタリアングレーハウンド)迷子中」詳細こちら。
検索で辿り着いたあなた、いらっしゃいませです。
「世田谷公園までの道順」が知りたいあなたはこちら。
「芦花公園ドッグラン」で辿り着いたあなたはこちら。
ゆっくりしてってくださいなのです。
まずは目黒川(烏山川)の緑道をポテポテして、
それから池尻大橋経由代々木公園を目指すのです。
基本的なルートはいつものこれになるのです。
・ 池尻大橋から代々木公園までなるべく裏道で。帰りは別ルート。
ただし、きょうはちょっとだけ、
文化村方面へ寄り道をするのです。

きょうも昨日に引き続き、とてもあたたかいのです。
緑道のカモもひなたぼっこなのです。

いぬとして、きょうもナメられているのです。

もはや緑道の移動ランドマークとも言える、
ペーちゃんが登場なのです。
夕方じゃないのは久しぶりなのです。

遊べよ、と言われるのです。
でもぼくは代々木を目指しているのです。

あーはいはい、遊ぶ遊ぶのです。

でもちょっと忙しいからまた後で、なのです。

その後さらに、
池尻大橋緑道ちいさいいぬクラブが集まってきたのです。

みんなで引っ込み思案のトイプードルを囲むのです。

鯉もきょうは行動的なのです。
やっと暖かくなってよかったのです。

大橋図書館脇の階段を、全力で登るのです。

図書館裏の階段も、

楽しく登るのです。

松見坂に出たのです。
いぬもオッケーのボタンは今日は休み。
土日は休みの、のんきなお店なのです。

好きなようににおい嗅ぎたまえ、なのです。
気にしないのです。先を急ぐぼくなのです。

松見坂下、
南側を見下ろすとあるのが松見地蔵(松見坂地蔵)なのです。
霊験新たかで有名で、昔は結構お参りが多かったらしいのです。

山の手通り(環状六号線)の交差点から、松見坂を振り返るのです。
昔、「道玄太郎」という盗賊がいたそうです。
(鎌倉時代の政争で負けた、和田義盛の残党勢力という説もあり)
この辺にでっかい松の木があって、道玄太郎はいつもその木の上に登って、
旅人が通りかかるのを待ち伏せしていたらしいのです。
それで”松見坂”というとか。
いまはなだらかに見えるのですけれど、
中央の青い手すりのあたり(下に松見地蔵)、
すごく深い谷になっているのです。
ここに最初に橋をかけたのは伊達遠江守という江戸時代の殿様。
遠江守ということは、伊予宇和島の伊達さんだと思うのです。

松見坂交差点にあるJohnny'sも準備中、なのです。
ここもいぬが居てもいい店だったと思うのです。
・ Cafe Johnny's :: 松見坂交差点

でもきょうのぼくはへこたれないのです。
きょうの目標地点は決まっているのです。
Johnny'sはまた今度、なのです。

神泉あたりを突破するのです。

神泉あたりは山だったり谷だったり、忙しいのです。
東京はでこぼこしているのです。

Bunkamuraの裏のほうへ降りてきたのです。

ついたのです。
ここは「SHOTO CAFE(松涛カフェ)」
きょうはここで、にんげんがおやつをたべるのです。
・ shoto cake and cafe 「SHOTO CAFE」
・ SHOTO CAFE - 食べログ.com
・ SHOTO CAFE - ぐるなび

いぬいっぴき入れてください、なのです。

ある意味いい席に通されたのです。
この一角を占領するのです。
ぼくたちはこの角の占領許可をもらったのですけれど、
店内はどこでもいぬオッケーかもしれないのです。

メニューも書いてある、便利な席なのです。

みずを貰ったのです。
あくまで人の店なので、いぬメニューはないのです。

あっちにキャバリアとかトイプードルがいるのです。
それにしても、おいしそうなにおいがするのです。
ちゃんとしたごはんのランチメニューも、日替わりでありますのです。

にんげんの水はセルフサービスなのです。
きょうは暖かいから、この席はとても居心地がいいのです。
…おししそうなものがきたのです!

「ショートーケーキ」
これは「焼いて+はちみつ」のシンプルなもの。

参考までにこっちが
「焼かないで生クリームとアイスとチョコと」
というてんこ盛り、なのです。
詳しくは下のメニューの写真でどうぞ、なのです。
・ shoto cake menu - SHOTO CAFE
どれも「焼く」「焼かない」のオーダーができるのです。

ぼくもちょっともらって満足したのです。
そろそろ、代々木公園に向かうのです。

商店街はちょっと人通りが多かったので、
脇道へ逸れるのです。

いつもの河骨川コースに戻るのです。

このコインランドリーの隣に、忠犬ハチ公が住んでいて、
毎日渋谷駅まで通っていたらしいのです。
それは知っていたのですけれど、
「いつも晩御飯が終わってから遊びに行ってた」
というのを最近知ったのです。
つまり晩御飯のあとに、さらに焼き鳥貰いに行ってたのです。
ハチ…。

河骨川がきれいに舗装されていたのです。
どうせなのだから青い舗装とかにできないのかな、と思うのです。

なんたって河骨川は「春の小川」の川なのです。

皮骨川を辿れば、代々木公園に着くのです。

黄色い花が、すごい勢いで咲いていたのです。

これがなんだかわからないのです。
でもとにかく、すごい勢いで咲いているのです。

いぬもいっぱいいるのです。

きょうは観光っぽいこともしておくのです。
日本の飛行機の初飛行の記念碑。「日本航空発始之地」
・ 代々木公園 - みどころ -
ここ代々木公園(代々木練兵場)で、
日本で初めて、飛行機が飛んだのです。
(この件は最下段に追記)
陸軍代々木練兵場、
進駐軍ワシントンハイツ、
東京オリンピック選手村という歴史を経て、
現在はひろいひろい代々木公園になっているのです。

この広さを満喫しておくのです。
きょうは暖かだから割と人出が多いのです。
その人出を飲み込んでなお、
まだまだ広く感じるのが代々木公園なのです。

一週半ほどしてひと休み、らしいのです。
…んんー?なのです。

まだ休むのですか?
あそこにいいものが見えているのですけれど。
まだですか?
まだですか?
( 「代々木公園ドッグラン」利用登録などについての記事はこちら。 )
ドッグランへ突入するのです。

きょ、今日は天気もいいので、人といぬとでいっぱいなのです。
でもここ、代々木公園ドッグランはひろいのです。
見えているところは小型犬用です。
フリーエリアはもっと広いのです。

たくさん居過ぎて、挨拶に忙しいのです。

あ、どーもどーも、なのです。

隙を見せれば嗅がれるのです。

これだけ多いと、ターゲットの設定に悩むのです。

きょうは、このいぬにターゲットを絞るのです。
いざ戦うのです。

ぼくが圧倒的に強いのです。
うはうはなのです。
と思ったら、

猛烈な反撃を食らうのです。
むきー!なのです。

…いじめが過ぎる、と怒られたのです。

いろいろ挨拶して、いっぱい遊んだので疲れたのです。
満足したから帰るのです。
公園を出ようと思ったらですね、

さっきのダックスと連れのポメラニアンに再開したのです。

またいつか、戦って遊ぶのです。

日が暮れる前に、世田谷に帰るのです。

路の上に、梅の花が散っていたのです。
次は桃で、そして桜、そして春がいっせいに咲くのです。

通りかかるいぬと遊びながら、世田谷目指すのです。

日が暮れる前に、なんとか帰るのです。
太陽はちょっと待つのです。

緑道まで帰ってきたのです。
さすがにもう、ぺーちゃんはいなかったのです。

きょうは松見坂を通って、代々木公園まで歩いたのです。
SHOTO CAFEはいい店、おいしい店だったのです。
おまけその1。
ロールちゃん。

いまだけ限定、コーヒー味。
・ ロールちゃんスペシャルサイト - 山崎製パン
このうさぎは「パパロール」。
ロールちゃんたちの父親らしい。

「ながーいぞ。」
父ちゃんなんか余裕だな。
おまけその2。
SHOTO CAFEにてドリンクメニュー。

山田博士とは何者か!?
よく知らないので、まずはあっさりとした付き合いを求める。

山田博士の外見は普通だった。
でもおいしかった。
おまけその3。
日本初飛行の地。

「日本航空発始之地」それが代々木である。
1910年12月のこと。
…いや正確に言いますと、
前年に上野不忍池でグライダーが飛んでいるのですが。
あと浮田幸吉とか二宮忠八とか。
そういった歴史に埋もれた発明家たちもいて。
「動力つき飛行機の初飛行」
としておけばとりあえずはいいのだけれど、これも・・・後述。

公式の日本初飛行は
「アンリ・ファルマン機に乗った、かの徳川家の徳川好敏大尉」
と世間では知られているのですが、それが手前の胸像。
じゃあもう一人は誰なんだ?
といえばそれは極めてマイナーな奇才、日野熊蔵。
日野熊蔵の事跡は現在、あまりに知られていない。
かく言う自分もよく知らない。
徳川大尉の飛行機が「アンリ・ファルマン」とは覚えていたけれど、
日野大尉のほうを覚えてなかったぐらい、よく知らない。
ドイツ製だっけ?ぐらい。
とりあえずまとめますと、
・ 徳川大尉はかの御三卿、清水徳川家の出。
でも親父が貴族の家の身代を潰しちゃって爵位返上。当時は平民。
ちゃんと勉強してエリートコースで軍に入り、飛行機研究に欧州に派遣されて、
ちゃんと飛行学校入って勉強して、代々木の飛行を迎えた。
・ 日野熊蔵は子供の頃から機械少年。
あんまりお金がなかったので兵学校に入った。
発明大好きで世界初の自動拳銃を作ったり、
さらには自作で飛行機を作ろうとしている。
その才能を見込まれて欧州派遣されて、ドイツ留学のはずなのに
欧州各地を飛び歩いて実学で技術を学んだ。
・ 初飛行は実は”公式記録の数日前”に、日野熊蔵が成功している。
・ でも軍としては「(幹部候補生でもある)徳川の子孫が初飛行」に
したかったらしく、日野熊蔵の記録を「実験中の事故」でボツにした。
・ 翌日も日野熊蔵は成功。でも徳川大尉は失敗したのでノーカウント。
・ その翌日、徳川大尉成功。そのあと日野熊蔵も成功。
これが公式記録とされる。
新聞や世間は大騒ぎ。「徳川の若様が空を飛んだ!」と。
・ のち、日野熊蔵は軍で異端扱いをされ、そのうち予備役へ。
発明研究、特許、論文発表を重ねるけれど、
借金が山のように増えていく。
・ 徳川大尉は航空学校長などを勤め、
それらの功績で爵位を貰い、
悲願の清水徳川家の華族復帰に成功。

徳川大尉は別に悪くないと思うんだよ。
徳川に栄誉を!は多分に軍や周辺の意向だし、
悲願の華族復帰に向けて「これからは航空軍事だ!」と
ちゃんと目標定めて、しっかり勉強していたみたいだし、
ちゃんとフランスで飛行機免許まで取っているし、
ちゃんと成功しているし。
後進の育成にも勤めているし。
・ Wikipedia - 徳川(清水)好敏
・ Wikipedia - 清水徳川家
・ Wikipedia - 御三卿

ただ、たまには日野熊蔵のことも思い出してあげて欲しい。
・ Wikipedia - 日野熊蔵
彼の出身地の郷土史家が、
彼の人生を一生懸命調べているらしいのですけれど、
それ以外、本当に資料が少ない。
軍人やりながら飛行機作りに没頭して、借金山のように作ったり、
手榴弾を作って軍に正式採用されたり、
ロケット兵器とか自動人力車とか考えたり、
バイク乗り回したり、ヴァイオリン弾きまくったり、
そんな人らしいけれど。
あと、
前述の日野熊蔵研究家の研究に拠ればですね、
実は初飛行より以前、熊蔵が個人的に作ってた飛行機を、
当時拳銃作りで怪我をしてた熊蔵の代わりに、
製造担当の職人が搭乗したら、ちょっと浮いちゃったとか。
・ 指定史跡 国際飛行機発祥の地 - 新宿区教育委員会
徳川くんでも熊蔵でもなく、
これが実は、日本動力つき飛行機の初飛行。
公式な記録は、ない。
「ミモザアカシア」です。
流石、花屋です。私!
お散歩途中のケーキ、激うまそうですな♪
代々木公園は家から近いので
いってみますです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%82%A2
ぼくのお爺さんかひいおじいさんが
オーストラリアのチワワなのです。
出身が一緒なのです。
それです。
どこで繋がってるかわかんないもんだねぇ〜。
遠い記憶の花なのね。
くーちゃんにとってっつても
わかんないよね^^;
ひいじいさんは、
ニュージーランドらしいのです。
チワワ、定説では
メキシコ原産なのですけれど・・・。
どこをどう辿っているのだか
よくわからないのです。

























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