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【緊急!】 世田谷公園周辺の犬は注目。
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ゆっくりしてってくださいなのです。

まずは烏山川緑道を行くのです。
三宿神社は、大晦日準備をしていたのです。

烏山川緑道は、春まで水がないのです。
落ちても平気で安心なのです。

三軒茶屋には、ちんどん屋さんがいたのです。
クラシックからジャズ、演歌、ポップス、ロック、
なんでも「ちんどん屋風」にしてしまう、
ちんどん屋さんの編曲能力はすごいのです。
きょうはちょっと、寄り道をしていくのです。

教学院、目青不動なのです。
江戸五色不動のひとつ、なのです。
三軒茶屋の一角なのにですね、
とても静かな雰囲気なのです。

本堂はこっちなのです。

さっきのこっちはあくまで不動堂。
この中にいらっしゃるのがですね、目青不動なのです。
この教学院、目青不動だけではないのです。
大名墓地もあるのです。
先日ですね、豪徳寺の井伊家墓所へ行ったときから、
こっちのこともちょっと気になっていたのです。
注・本来、墓地は関係者以外入らないものです。
大名墓地といえど、現在も御子孫がいらっしゃいます。
が、
今回は、「問題提起」ということで見学。

こちらにあるのは、徳川家というか松平家の、
最古参級の家臣である大久保氏の墓所なのです。
大久保彦左衛門などが有名なのです。
まずあるのはですね、下野国烏山藩、
現在の栃木県烏山の藩主の大久保家の墓なのです。
大久保氏の分家なのですけれど、
老中も輩出した、立派な譜代大名なのです。
・ Wikipedia - 烏山藩

その奥、こっちが本家の大久保氏墓地。
途中で政争に負けて、左遷されたりしたけれど、
江戸の最終関門である小田原の立派な藩主として、
小田原藩を預かっていた、由緒正しい譜代大名なのです。
・ Wikipedia - 小田原藩
でも見ての通り、少々荒れ気味なのです。
じっくり見ていくと、なかなかのものなのです。

こちらは、地味な老中、大久保忠真の墓なのです。
・ Wikipedia - 大久保忠真
この人地味だ地味だといってもですね、
松平定信に見出されて二十年も老中を勤めて、
藩ではあの二宮尊徳(二宮金次郎)を世に送り出し、
名物奉行・矢部定謙や探検家・間宮林蔵を引き立てた、
「人を見る目があった」立派な人なのです。

島津の家門の「丸に十字」が凛としているこちらは、
鹿児島島津家から嫁いできた、大久保忠愨の正室の墓なのです。
えーとですね、家系図から考えるとですね、
天璋院篤姫の義理の父親のおばさんに相当するのです。

大久保本家の墓所の、さらに奥にあるのがこちら。
さらに荒れているのです…。
こちらは墓碑銘から判断するにですね、
大久保家分家の、大身旗本の宇津氏の墓所と思われるのです。
(大久保氏の元の苗字が宇津氏)
宇津氏は現在の栃木県に領地を持ち、桜町陣屋を構えていて、
その宇津氏の領地の荒廃していたのを立て直したのが、
二宮金次郎なのです。

墓所から三軒茶屋キャロットタワーを見上げるのです。
ちょっと寂しい感じがするのです。
この大久保氏墓所は元々都心部にあったのが、
目青不動教学院ごと移転してきたもので、
つまり完全な旧状を留めてはいないのです。
その辺でですね、豪徳寺の井伊家墓所と比べると
ちょっと「史跡的価値」が落ちるのです。
子孫もたくさんあちこちに散らばっているだろうし、
これほどの墓所を維持管理するのは大変だろうと思うのです。
でも、だからこそ、なのです。
「立派な墓石」というだけでも、充分な価値があると思うのです。
もっとなんとかできないものかと思うのです。
井伊家墓所のように、きれいに整備して公開する、という感じに。
行政も間に入ってみてほしいのです。
お寺、御子孫、その辺の調整は難しいとは思うのですけれど、
もう少しきれいになれば、お寺の訪問者も増えると思うし…。
なにより、なんとなく、切な寂しいのです。
という、問題提起でしたのです。

さぁ、こんどは蛇崩川緑道を行くのです。

どんどん遡ってみるのです。
数年前と比べるとですね、
この緑道はとてもきれいに整備されちゃったのです。

でも、三軒茶屋あたりから上流の蛇崩川緑道はですね、
かなり細いのです。
自転車散策はちょっと辛いかもしれないのです。

環七を越えて、なお進むのです。

あんまり人が通らないからですね、
足取り軽やか、なのです。

でも狭いのです。むーん、なのです。

緑道は、小泉公園という公園を通過するのです。
この公園、
前は池があったような気がするのです。

川はそのまま、道へ出るのです。
車道、歩道、のさらに脇に「川跡の遊歩道」が続いているのです。
(画像一番右のレーン)

路上で、女の子いぬにモテモテなのです。
うはうはなのです。

このまま、どんどん歩いていけそうなのです。
でもきょうはその予定はなかったので、
とりあえずここまでで終了しておくのです。
もう少し先まで続いているはずの、
この先はまた今度のお楽しみなのです。

駒沢給水塔で、もう夕方の気分を味わうのです。
・ 駒沢給水塔風景資産保存会 - 愛称:コマQ
・ 世田谷区 駒沢給水塔 世田谷区

ここからまっすぐ伸びる水道道路の先に、
キャロットタワーが見えるのです。
あそこから来たのです。
え?んーとですね、

これなら見えますか?
掃除してるおばちゃんからみかんを持ってく?と言われたり、
竹箒に驚いたりしながらですね、

駒沢公園に着いたのです。
駒沢公園の一歩手前に、こんな石碑が立っているのです。
駒沢オリンピック公園、
ここは元々は大正初期にできた駒澤ゴルフ場だったのです。
(移転後、現在の東京ゴルフ倶楽部 )
1940年に幻の東京オリンピックが計画されたときは、
メイン会場予定地になって、でも戦争の雰囲気でオリンピック中止。
・ Wikipedia - 東京オリンピック(1940年)
そのあと敷地は駒澤練兵場(現在の自衛隊三宿駐屯地)に
一部組み込まれて、戦争中は食糧増産のために「畑」になってて、
戦後は傷痍軍人の病院ができて。
それが現在駒沢公園となりにある、東京医療センターの前身なのだそうで。
・ 東京医療センターホームページへようこそ!
それから1953年には野球場ができて。
東急の傘下の「東映フライヤーズ」がホームにしてですね、、
「駒沢の暴れん坊」と呼ばれていたのだそうです。
フライヤーズはその後、
日拓フライヤーズ、日本ハムファイターズになって、
現在の北海道日本ハムファイターズ。
・ Wikipedia - 駒澤野球場(現在の公園硬式野球場とは別)
・ Wikipedia - 北海道日本ハムファイターズ (球団の歴史あり)
1964年の東京オリンピック開催が決まったので、
1962年に野球場取り壊して、球団はいなくなってしまったそうなのです。
それからここで、東京オリンピックがあって、
・ Wikipedia - 東京オリンピック
そのあと、現在の駒沢公園。これからぼくが遊ぶところ。
そんなこの土地の激動の歴史がですね、
この一本の、ぽつんとした石碑から始まるのです。
そんな石碑のすぐ脇で、ですね、

先日遭遇した仲間に、また同じ場所で偶然遭ったのです。

きょうも囲まれたのです。
負けないのですうはうはうは。

きょうはほかのいぬも乱入してきたのです。
たのしいのです。

それから、公園に突入したのです。

外周をガンガン走るのです。
そんなチワワもどうかと思うのです。

……え、えーと、

あれは…えーと…

…。

やっぱり、門松なのですか。
ちょっと不意打ちだったので面食らったのですけれどですね、
風情があっていいのです。

さぁ、ドッグランに向かうのです。
ところでこれ、サッカーボールですか?

ドッグランに着いたのです。
先日よりはですね、いぬもいっぱいいるのです。

遊んだり、挨拶したり、忙しいのです。

で、寒くなってきたから、帰るのです。
この帰るタイミングがみんな一緒ぐらい、というのがおかしいのです。
みんな一様に「寒い」のです。

きょうは三軒茶屋から蛇崩川緑道、
目青不動教学院とか駒沢給水塔とか見学しながら、
駒沢公園に行ったのです。
みかんもらい損ねたのを、いまごろ後悔しているのです。
走って帰るのです。
おまけ。
帰り道にて。

あ、あれはー!
「イラストが怖いよ」という評判の、愛媛FCのバス!
・ 愛媛FC公式サイト【EHIME FC OFFICIAL SITE】
・ Wikipedia - 愛媛FC
右側のキャラ、口から果汁垂らしてるんだよ。
怖い。

でもがんばれ。
イラスト描いた能田先生のことも応援しているぞ。
ピース電気店もORANGEも好きだ。
ってか読め、日本の子供は全員読め。
カマタマーレの次に応援してる。愛媛行ったこともないけど。
・ 能田達規のホームページ

ORANGE 13 (少年チャンピオン・コミックス)
能田 達規

























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