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こんにちは。チワワのクドさんです。
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きょうは駒沢を通り越して、深沢のほうに来ているのです。
駒沢公園を目指して散歩するのです。









深沢神社については
こちら
深沢二丁目広場・三田家古民家についてはこちら
その他「深沢の謎について」はこちら



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今週末も、駒沢に来ているのです。
これからドッグランへ行ってひと暴れするのです。
ふんふん。


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…あれ…。


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確かにいぬはいるのですけれど、
ここは駒沢公園でも、ドッグランでもないのです。


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にわとりもいるのです。




ここは国道246号線に面した、
いぬの銅像とニワトリの銅像が睨み合う謎の広場なのです。

ここから、呑川の遊歩道が始まっているのです。

呑川緑道呑川親水公園 - 世田谷区

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きょうはこれを南下しながらですね、
途中で曲がって、駒沢公園に行くのです。


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さっそく目指すのです。
いざゆかん、なのです。


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ここは桜の並木になっていてですね、
春にはたくさんの散策の人でにぎわうのです。


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でもまだ咲いてないのです。


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川の両脇が、一方通行の道になっているのです。
ときどき、ゆっくりとですけれどですね、
車も通るのです。

日体大も越えて、ずんずん進むのです。


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……。



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花も咲いてないし、飽きてきたのです。


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寄り道するのです。

呑川はそのうち、水面が見えなくなってですね、
いわゆる「暗渠」になった、普通の緑道になるのです。

ちょうどそのあたり、
緑道に隣接して、きれいな公園があるのです。
その公園の背後、ちょっと高くなっているところにですね、


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神社があるのです。
深沢にあるから深沢神社

深沢神社 - 東京神社庁


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割と立派な、近代的な神社だったのです。


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この近くにですね、園芸高校という学校があるのです。
その敷地に、昔は兎々呂城というお城があったらしいのです。
「ととろ」と読みたいけれど、「とどろ」なのです。
「とろろ」でも「どろろ」でもないのです。

世田谷 玉川村名所物語 : 兎々呂城

元々伊豆の人だった南条さんが、
小田原北条氏に仕えまして、
合戦で活躍してこのあたりの土地を貰いましてですね、
静岡の三島市の、
三嶋大社を分社してもらって建てたらしいのです。

三嶋大社
Wikipedia - 三嶋大社

どっちかというと海の神様なのに、
世田谷あたりでごくろうさん、なのです。


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神様が、海まで連れてけと言っているのです。
神様の近所のきみが、なんとかしてあげるのです。


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緑道に戻ってきたのです。
元は川だから、橋の跡もあるのです。

深沢神社の前だから「宮前橋」なのです。

「深沢の謎」については一番下のこの辺でもう一度。



地名といえばですね、
いつもこの辺で「深沢不動」という交差点が気になっていたのです。

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来てみたのです。
割と近代的な不動堂だったのです。

お隣にあるお寺(後述)の不動堂が、
独立したものらしいのです。

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狛犬かっこいいのです。


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門前には、庚申塔とかが集められて建っていたのです。


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これもかっこいいのです。


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簡単に文政二年とか言ってくれるのですけれど、
松平定信が生きていた時代なのです。


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お隣にはですね、不動堂の元となったお寺があったのです。
これまた立派なのです。

医王寺というお寺でですね、
さっきの深沢神社の南条さんの子孫の谷岡さんが、
1600年代に開基したお寺なのだそうです。


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立派な門があったのです。
ちょっとお寺の門にしては違和感があるのです。

おまけに通れないのです。

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裏から見たらですね、工事中だったのです。


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このお寺の敷地には、レストランがあるみたいなのです。


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看板がこうである以上ですね、
いぬのぼくも入っていいと思うのです。

飯処 田 めしどころ でん - 和食(その他)、ふぐ、懐石・会席料理、フグ、河豚、和食、日本料理(桜新町) [食べログ]

(本当に犬オッケーらしいです。詳細はお店に聞いてください)


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この医王寺はですね、
「深沢小学校発祥の地」らしいのです。

深沢小学校(公式)

駒沢公園にもそろそろですね、
「公営ドッグラン発祥の地」とか建ててもいいと思うのです。



さて、なのです。

歴史ついでに、もう一ヶ所行っておくのです。
きょうは行かねばならないと言いますかですね、
もう手遅れ、と言いますかですね…。

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複雑な気持ちで、駒沢通りを行くのです。
ああそういえばもうすぐマラソンあるのです。

いぬは走ってもいいのですか?


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…着いたのです。

ここはですね、「深沢二丁目広場」というのです。
立派な古民家が保存されている、
あまり有名じゃないけれど、な場所なのです。…でした。

まぁ、さっと下記の画像でも見てほしいのです。

深沢二丁目広場 - 坂本建設株式会社
「深沢二丁目広場」 Googleイメージ検索


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いぬが入れますか?以前に、
人も入れなくなっていたのです。

つい先日、ほんの先日、火事で燃えちゃったのです。



明治の古民家全焼 不審火の疑いも 東京・世田谷 - MSN産経ニュース

世田谷区 深沢二丁目広場は、暫く入場できません - 世田谷区
築120年の古民家「三田家住宅」火災全焼、これはつらい…。 at 和の暮らしを楽しむブログ -瑠璃色Tradition-


いつか行こう、今度行こう、
と思ってたら、なくなっちゃったのです。


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蔵もちょっと焦げているのです。


三田氏というのはですね、
元々は青梅のほうで頑張ってた勢力で、
勝沼城というお城を根拠地にして、
関東管領の上杉さんや、越後の上杉謙信と組んで、
小田原北条さんとひたすら戦っていたのです。

そこに城があるから【城館跡探訪記】 : 勝沼城
Wikipedia - 三田氏
武家家伝_三田氏


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小田原北条氏に負けた三田氏ですけれど、
その後、その小田原北条さんも秀吉に負けまして、
あとから来た徳川家康の配下になって、
江戸時代は旗本だったそうなのです。

で、三田氏の一部は”多摩川を下って”下流に移動して、
小田原北条さんの部下の、
さっきの深沢神社の南条さんの配下におさまってですね、
このあたりの農家になったのだそうです。
また南条さん登場!ですか。


そんな三田さんがずっと住んでたお屋敷をですね、
たぶん税金で物納したのだと思うのです。

昔はただの畑だったのにねぇ、なのです。



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在りし日の航空写真、なのです。
いつか写真が更新されたら、もう見えなくなるのです。

ちなみに右下に見えるあたりのでっかいおうちが、
現在の三田さんちだと思うのです。
というかこのあたりは三田さんばっかりかも。


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あ、長屋門は残ったみたいなのです。
よかったのです。


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あとは屋敷神も。

何百年も屋敷を守ってきたのに、
さぞや無念だろう、と思うのです。

「三田家から、公営に管理が移ったから、
 俺の仕事はもう終わり」

というつもりなのかもしれないのです。


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寄り道いっぱいしたのです。
やっと駒沢公園に着いたのです。


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サイクリングコースに、
「どうしてもサイクリングしたい子供」がいたのです。


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ドッグランに突入したのです。
あーこんちは、こんちは!なのです。


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む、む、む。
戦いの予感、なのです。


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どーんとこい、なのです。


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くるっと。


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これ以上続けると、いじめになるのです。
つよいおとこはつらいのです。


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仲間と遊んだりしてたら、
ずいぶん陽が傾いていたのです。

帰り方向へ向かうのです。


祐天寺のほうを目指してですね、

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五本木で曲がって、世田谷公園通過して帰るのです。


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あ、ウランさんこんにちは、なのです。


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ボードの人たちもですね、
帰り支度の撤収作業、なのです。

ぼくも帰るのです。


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きょうは呑川から、駒沢公園を目指したのです。
途中ではからずもですね、
南条さんの幾重にも張り巡らせた罠にはまったのです。

土地に歴史あり、なのです。








おまけその1。
五本木交差点にて。
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日常の行動範囲じゃないから知らなかったけれど、
ここも補助26号線の工事、始まっているのだなぁ、と。

一応、公園や学校を通過して、つまりは
「なるべーく立ち退き費用がかからない方法」みたいな。
でもただの直進とも思えるけれど。
補助26号線」についてはこちらを。

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この中に入りたいです。
その部にはどうやったら入れますか?





おまけその2。
深沢神社の謎について。
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深沢神社についてのDATAを、もう一回出しておく。

世田谷 玉川村名所物語 : 兎々呂城


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右に見えるのが深沢神社
三嶋大社の神社なので、幼稚園は三島幼稚園。
で、
左に見える園芸高校あたりが兎々呂城
トトロ城、と読みたいけれど「とどろ」城。
「どろろ」でも「とろろ」、でもない。


三嶋大社
Wikipedia - 三嶋大社


で、この兎々呂城を貰った南条氏小谷岡氏谷岡氏とも)について、
なのですけれど、

小田原北条氏がまだ、伊豆興国寺城を根拠にして、
関東への侵入を企ててた頃からの仲間で、
のちに「伊豆衆」と呼ばれた二十一家の一家なのだそうで。

小田原の北条氏と房総の里見氏との抗争である、
国府台の合戦」で南条さんは手柄を立てて、
この近辺や兎々呂城を貰ったのだそうで。
他にも所領は厚木のほうにもあって、
北条家中では中の上から上の中くらいの家格と規模。

豊臣秀吉の小田原攻めの際は、
当主南条重長南条右京亮)は小田原城に一緒に立て篭もり、
敗戦後はどこへも仕えず、帰農したそうで。
子孫は小谷岡だか谷岡だかと名を変えたそうで。
「小谷岡」は、伊豆にいた頃の由来の地名なのだとか。

江戸時代は名主だったそうなので、
南条なり小谷岡なり谷岡なりの姓で、
深沢近辺に御子孫がいる可能性もあると思う。
医王寺に聞けばわかるかもね。

重長は割と戦場で活躍しているので、
「どこからも声がかからなかった」
わけではないと思うのですけれど。


で、「深沢」という知名なのですけれど。

これは後北条氏からはずいぶん前の鎌倉時代に、
既にその地名が命名されていて、
文字通り「沢が深い」ところだったからだ、とされています。
(昔はこの辺も山あり谷あり森あり沢あり、だったのです。)


というところで、話は伊豆に飛びます。

伊豆で南条さんの根拠地ってどこだったんだろ?と思うに、
昔は「南条郷」という地名があったらしい。
小谷岡(谷岡)という地名についてはよくわかりません。

現在では伊豆の国市の伊豆長岡駅、

この駅のあるあたりがまさに「伊豆の国市 南条(南條)」。

伊豆の国市、という地名の是非はさておき、
このローカル鉄道に沿って、一駅南下します。

そこに「広瀬神社」という神社があります。


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これ、いつからあったのかわからないほど歴史が古くて、
少なくとも「延喜式」に載ってる、いわゆる「式内社」です。

この広瀬神社と三嶋大社は少々面白い伝説がありまして、
・そもそも三嶋大社(の神様、というか勢力)は伊予国(愛媛県)出身
・なぜか東へ流れる
・三宅島に上陸。のち、伊豆の白浜に上陸。
・広瀬神社の地点に移動。
・のち、現在の三島市の三嶋大社に移転。

という伝説がありまして。
三嶋大社を神と崇める古代豪族が、
このルートで移動した、ってことなのかな、と。


で、この広瀬神社は江戸時代、「深沢神社」と名乗っていたそうで。
隣を流れる川が「深沢川」

その地に由来のある南条氏の小谷岡重頼が、
武蔵野国世田谷にて三嶋大社を祀った場所が「深沢」。


さて。
どういうことだこれは、と謎を謎のままに放置。









theme:東京23区
genre:地域情報


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コメントやご感想などご自由に。
お返事はおいおいするのです。
いやー勉強になりますなぁ~

歴史は面白いね!
2009/02/28(Sat) 15:48 | URL  | OboCafe #-[ 編集]--------
Re: タイトルなし
「小田原北条氏マニア」というですね、
かなり極狭の人にしかウケない記事なのです。

お店のある上町と宮の坂との間にはですね、
「世田谷吉良氏」の墓所があるのです。
行かねば、なのです。
2009/02/28(Sat) 23:51 | URL  | kuddy #-[ 編集]--------
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このコメントは管理人のみ閲覧できます
2013/04/24(Wed) 16:18 |   |  #[ 編集]--------
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