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こんにちは。チワワのクドさんです。
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きょうは隅田川を歩いてきたのです。
隅田川の辺を歩いて、橋をいっぱいくぐってきたのです。






(注・以下、結構な長さになりますので、お飲み物など御用意の上で。)




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ゴールデンウィークのある日、
東武本線(伊勢崎線)の、牛田駅に降り立ったのです。

Wikipedia - 牛田駅
牛田駅 - 東武鉄道


ぼくが住む東急田園都市線と東武伊勢崎線はですね、
間に地下鉄の半蔵門線を挟んで、相互に乗り入れているのです。

中央林間 - (田園都市線) - 渋谷 - (半蔵門線) - 押上 - (伊勢崎線) - …

なのでですね、田園都市線の最寄り駅から乗れば、
大体の電車は自然に伊勢崎線のほうへ行ってくれるのです。
さらにその向こう、東武動物公園とかまで行っちゃうのです。
上手く乗り換えれば、日光とか鬼怒川だっていけちゃうのです。


気をつけなきゃいけないのはですね、都心から見た場合、
押上の次、曳舟駅からは全部、急行以上の運行になるのです。
なのでですね、
今回の牛田駅とかの、曳舟~北千住間の駅に用がある場合は、
曳舟駅で待っている、各駅停車に乗り換えなのです。




牛田駅は足立区なのです。

駅を出たら目の前すぐに京成関屋駅があって、
ちょっと面白かったのです。
東武と京成の乗り換えポイントは、ここだけなのだそうです。

Wikipedia - 京成関屋駅


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でもきょうは、京成には乗り換えないのです。
駅を出てすぐそこの、隅田川を目指すのです。


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駅周辺はちょっとごちゃっとしていたけれど、
すぐに広い歩道になったのです。


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もう隅田川に着いたのです。
千住汐入大橋を渡るのです。

Wikipedia - 千住汐入大橋


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すぐそこにはですね、東京水辺ラインの水上バス乗り場もあるのです。
あれに乗ったら、隅田川下りもすぐなのです。
でもぼくは歩くのです。

東京水辺ライン(公式)

このあたりには昔、汐入の渡しという渡し場があったらしいのです。
隅田川の橋は、
「昔、渡し舟があったよ」という場所であることが多いのです。
そこに渡し船があった以上、
川のあっちとこっちに道があるのだから、
そこに橋を架けるのは自然なことかもしれないのです。

Wikipedia - 汐入の渡し


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橋を渡ったら、そこはもう汐入公園だったのです。

概要|汐入公園|東京都公園協会
Wikipedia - 汐入公園


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このマップの、
下にもうちょっと、右にもうちょっと公園が続いているのです。
広いのです。


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汐入地域の大規模な再開発でできた公園で、
まだ新しい感じで、おまけにとても広いのです。
災害時の拠点としても整備されているらしいのです。

トイレもあるし、自動販売機もある。
バーベキュー場もあるのです。


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公園が直接、隅田川に面しているのです。
(水遊び注意)


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どこが境目かわからない感じで、
隅田川のスーパー堤防と公園が一体化しているのです。

これを、どんどん下ろうと思うのです。

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堤防は広いのです。
登ったり降りたりしながら、下流へと進むのです。

早々に体力を消耗している気がするのです。


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堤防のすぐ横に、でっかい神社があったのです。
石浜神社というのです。
とても古くからある神社でですね、
浅草名所七福神の「寿老人」ポイントでもあるのです。

石浜神社ホームページ(公式)
浅草名所七福神 - 浅草名所七福神会
石浜神社 - 浅草名所七福神会


この、石浜ってあたりは昔から、
交通の要所だったらしいのです。
奈良時代から官道(つまり国道)がこの地点で隅田川を渡っていて、
伊豆で負けて房総半島に逃げた源頼朝が、
再起の大軍勢を率いて川を渡ったのがこの石浜。
(石浜の渡し、白髯の渡しについては少し下にて再度。)


時代は下って、
武蔵野合戦で負けた足利尊氏が、
新田義貞の子供の新田義興義宗兄弟や、
中先代・北条時行らに負けて逃走して、
かなりピンチのまま数日間、
息子の基氏と合流するまで、この石浜に引き篭もったとか。

軍事拠点になるくらいなのでですね、
このあたりには石浜城というお城があったのです。
関東の名族、千葉氏の後期根拠地でもあり、
曲亭馬琴の南総里見八犬伝にも出てくるのです。

Wikipedia - 千葉氏
Wikipedia - 南総里見八犬伝

ただしこの石浜城、
現在では正確な場所はよくわからなくなっちゃっているのです。
”まぼろしの石浜城”なのです。

で、その有力な候補地のひとつが、
石浜神社敷地だと言われているのです。
(ただし、たぶんそれは旧社地。現在より西にちょっと離れている。)

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そんな由緒ある石浜神社だけれどですね、
隣はガスタンクなのです。

古代中世、現代と、
歴史が隣同士で混ざり合っちゃっているのです。


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石浜神社は、もうすぐお祭りらしいのです。
歴史を背負って、現代でも元気に活動中なのです。


さて、歴史といえばですね、ちょっと寄り道なのです。
隅田川を離れてほんのちょっと。
こんな普通の住宅街の中にですね、

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突然、
なんだか重々しい雰囲気の塀と門が出てくるのです。


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勝手に中に入るのです。
どうやらそういうシステムらしいのです。

庭風の敷地の先にはですね、

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お墓がひとつ、清潔に建っていたのです。


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ここはですね、「エレキテル」でおなじみの、
平賀源内のお墓なのです。

Wikipedia - 平賀源内

源内のお墓だけぽつーんとある現状なのです。




元々ここにはですね、総泉寺というお寺があったのです。

石浜城の千葉氏や徳川将軍家に保護されて、
秋田藩佐竹氏の歴代藩主の墓所でもあった、
それはそれは立派なお寺だったらしいのです。




でも、関東大震災で壊れちゃって、
板橋小豆沢の清水薬師大善寺ってお寺と合併して、
板橋へ移転しちゃったらしいのです。


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なのになぜか、
平賀源内くんだけここに取り残されちゃったのです。
(源内の従者の墓もあり。)

でも、あれ?

「佐竹氏所縁の、台東区の総泉寺から移築した本堂」
ってのがですね、
世田谷代田のあたりにあったはずなのです。
その「円乗院」については詳しくはここ。




…じゃあ潰れてないんじゃない?と思うのです。

廃材利用?
謎なのです。


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謎は今度、暇な時に解決するのです。
隅田川に戻るのです。

なんとなく、川のほうに向かって歩けばたぶん、
川に出るのです。


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と思ったらですね、お寺の境内に出ちゃったのです。
ここは橋場不動尊というお寺なのです。

浅草名所七福神の「布袋尊」もあるのです。

不動院 - 浅草名所七福神会


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正確には「砂尾山 橋場寺 不動院」。
ここもさっきの石浜神社と同じくらい古くってですね、
奈良東大寺の大仏と同じくらいの頃からあるそうなのです。

今回はスルーするつもりだったのでですね、
偶然迷い込んでラッキーだったのです。


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どうにか隅田川に戻ってきたのです。
白鬚橋なのです。

Wikipedia - 白鬚橋
Wikipedia - 橋場の渡し(住田の渡し、白髭の渡し)




実はすぐそこがさっきの石浜神社なのです。
平賀源内君のお墓とか不動院とか、
近所をぐるっと廻って、戻ってきちゃったのです。


ここ白鬚橋こそが、
例の”奈良時代からの官道(国道)”なのです。

頼朝が渡り、尊氏が渡り、
歴史上のいろんな人が武蔵から常陸房総方面へと、
またその逆に移動する際、必ず通過した渡し場なのです。


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在原業平が「名にしおわば いざ事問はむ都鳥」
と詠んだのが、この渡し場だと言われているのです。

この下流に、「業平橋」「言問橋」などがあるのですけれど、
それらはこの歌にちなんでつけられた地名で、
順当に考えれば、
業平はこの白鬚の渡しを渡ったのだと推測されるのです。


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渡って向島、葛飾、そして千葉…

は今回は置いといて、ですね、
どんどん下流を目指すのです。


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今度の橋は桜橋なのです。


人と自転車だけの、変わった形をした橋なのです。



View Large Map

車は通れない、X字型の橋なのです。

Wikipedia - 桜橋(東京都)


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隅田公園の一角で、とりあえず威張っておくのです。

前回来た時は、いぬの散歩時間だったからですね、
ここにはいぬがいっぱいいたのです。
でもきょうは誰もいなかったのです。


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そんな隅田公園でちょっと休憩、なのです。

Wikipedia - 隅田公園


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ここからは、川に並行して公園内を進むのです。
言問橋も東武の鉄橋も、公園内の道はくぐって進むのです。


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でも、通りすがるいぬとは挨拶するのです。


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人力車に負けたくないのです。


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アサヒビールが見えてきたら、もう浅草の繁華街は近いのです。

きょうはゴールデンウィーク、
チラ見する浅草方面は、すごい人っぽいのです。
水上バス乗り場もすごい人出で、行列なのです。


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きょうは浅草はスルーなのです。

吾妻橋を渡って、
台東区から対岸の墨田区側へ移動するのです。

Wikipedia - 吾妻橋



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隅田川沿いに続く遊歩道「隅田川テラス」はですね、
基本的に両岸にあるのです。
(詳しい地図へのリンクは下のほうに。)

でもこの辺からしばらくは、台東区側には遊歩道はなかったと思うのです。
だからこっち側(墨田区側)に来てみたのです。
午後はこっち岸のほうが陽射しがあって、少し暑いくらいなのです。


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どんどん進むのです。
駒形橋をくぐるところなのです。
向こうに見えるのが厩橋

Wikipedia - 駒形橋
Wikipedia - 厩橋


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隅田川テラスは「基本的にずっと舗装」だと思っていたのです。
でも、こんな風に土っぽい感じにしているところもあったのです。
変化があって楽しいのです。

昔はこの先、両国あたりに「水泳場」もあったらしいのです。


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蔵前橋をくぐるのです。
この橋はすっごく黄色いのです。

Wikipedia - 蔵前橋


…んん?

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橋の欄干に相撲取りが!


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よく見れば、川の手すりにも相撲取り、なのです。


蔵前といえばですね、
少し年長の人なら「ああ、蔵前国技館!」だと思うのです。

Wikipedia - 蔵前国技館

現在の両国国技館の前は、
向こう岸の「蔵前」に国技館があったのです。

両国移転後の蔵前国技館の跡地は、
現在は下水道局の処理場になっているらしいのです。
写真に見えている茶色いのがそれなのです。

蔵前水の館 - 東京都下水道局


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てきとうに、色をつけてみたのです。

「蔵前」という地名はですね、大相撲とは関係なく、

その昔、江戸幕府のでっかい米蔵だった、
浅草御蔵(米倉)がこの地にあったことから、
そういう知名になったらしいのです。
(ちなみにひとつ上流の厩橋は、
 御蔵の付属施設で、米運搬用の馬の厩舎があったから。)

蔵前 地名の由来 - 歴史@蔵前 - 蔵前タウンガイド


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蔵前橋はすっごく黄色いのです。


浅草米蔵といえばですね、
江戸市中を燃やしつくし、江戸城天守閣まで焼けちゃった、
日本史上最大の火災、
かの”明暦の大火”(振袖火事)の際のお話。

「米蔵に火が迫ってます!お米が燃えちゃいます!」
という報告を受けて、
当時の幕府を仕切っていた保科正之は、

「じゃあ蔵をどーんと開けちゃえ。
 欲しい庶民にあげちゃえ。ついでに消火手伝ってもらえ」

と、常識外れの事を言い出したのです。
そんなことしたら、幕府の備蓄米がなくなっちゃいます!
という意見が当然出たのです。
特に当時のお米は、すなわち現金にも等しいのです。
けれど正之ったらですね、

「えー?お米、燃えちゃったら丸損じゃん?
 でも、欲しい奴が持ってって、食べたらそれは有効活用じゃん?
 …え?そいつらが後で売って現金化したら?
 そしたら市場に米が流通して、
 復興作業で米不足にならなくて済むじゃん。違う?」

といって、米蔵全開放した、という事件が残っているのです。
保科正之についてはこちらを。



蔵前橋の黄色は、「稲の籾殻の色」らしいのです。
昔ここに米蔵があったんだぞ!という記念。


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このあたりからしばらく、
こんな感じで「昔のこのあたりの絵」が飾ってあるのです。


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相撲は「技シリーズ」になっていたのです。
決まり手が全部あるかは数えてないのです。
誰か数えてきてください、なのです。

Wikipedia - 外無双


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順調に、両国方面を目指すのです。

昼間だけれど、
「かがりもかすむ春の空」という感じなのです。
テラスも広くて縁起がいいのです。


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しかしながら、なのです。
ここで悲しいお知らせなのです。

隅田川テラスは両国JCTに出会ったのです。

Wikipedia - 両国JCT




この部分、運河(竪川)を渡る橋がないのです。

Wikipedia - 竪川


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しょうがないのでですね、一旦堤防を降りまして、
一之橋とやらを渡るのです。
竪川の、隅田川から数えてひとつ目の橋なので、
一之橋、なのです。

この川に沿ってどんどん行くと、
錦糸町とか亀戸を通過して、
大島小松川公園、そして荒川に至るのです。


橋を渡った先で、すぐに隅田川に戻ってもいいのです。
でもせっかくなのでですね、寄り道をするのです。

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近くの神社に来たのです。
江島杉山神社というのです。

”えのしま”というくらいでですね、
ここはあの湘南藤沢の江の島の、あの派手な神社の仲間なのです。
ぼくの江ノ島記事こっち。

杉山神社の由緒 - 杉山検校遺徳顕彰会ホームページ

江島神社(藤沢市江の島のほう)


江戸の初め頃に、杉山検校杉山和一)という人がいたのです。
盲目だったのです。

江の島の岩窟にこもって修行をして、古来のやり方に独自の改良を加えた
「杉山流管鍼術」を編み出しましたのです。
それが評価されて、幕府歴代将軍の治療も行い、
総検校(盲人最高峰、と思ってください)の位も貰ったのです。

それだけではなく、
同じ盲人に針技術を教える学校まで開設しちゃったのです。
これは障害者学校としては、
世界でも最初期のケースなのだそうです。


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江の島で修行したので、江の島にすごい思い入れがある。
だから江の島参りの道標整備当ブログ内記事はこちら)とかまでやっちゃう、
そんな江の島大好き爺さんの杉山検校に、

「おう、針の爺さん。
 お前さ、若い頃、江の島で修行したらしいな。
 オレもこの間、江の島行ったんだぜ江の島。
 で、あそこの御神体一個貰ってきたから、お前にやるよ。
 懐かしくね?つかチョーありがたくね?
 ・・・え?オレ将軍よ?将軍は何してもいいの!」

と言ってくれちゃう豪快な将軍様がいまして、
ありがたくそれを貰って自分の屋敷に安置したのです。

というわけで江の島の神様と、立派な杉山検校を両方祀ったのがここ、
江島杉山神社、なのです。


将軍綱吉の治療をした際、”ある意味豪快”な将軍さまは
「望みのものをなんでもやるよ。なんでも言ってみ?」
と言ったのです。
で、杉山検校(盲人)は

「ひとつでいいから目が欲しい」

と言ってみたそうです。
よくよく考えるとおもろい爺さん、だと思うのです。

それで負けちゃいないのが将軍綱吉。
検校が貰ったのは、この江島杉山神社が建ってる場所の屋敷。

住所は「本所 一つ目」。

…将軍さまに座布団一枚、なのです。

Wikipedia - 杉山和一


そんな江島杉山神社にやってきたのです。
境内には江ノ島で修行した洞窟のレプリカがあるとかないとか。

しかしながら、なのです。

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…がーっかり、なのです。

抱えてならオッケーかも知れないけれど、
なにやらきょうは祭りの支度か、
神社氏子連が集まっていたので遠慮。


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街中をぷらぷらしながら、
さびしく、隅田川に帰るのです…。

新大橋一丁目会(旧)
かもめ(新・新大橋一丁目会)


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隅田川に戻ったのです。
隅田川はいぬがいてもいいのです。


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ご近所いぬと挨拶するのです。


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ときどき、松尾芭蕉の句碑が立っているのです。

「芭蕉葉を 柱に掛けん 庵の月」
( あとで解説 )

この辺はですね、
芭蕉記念館の裏手になるのですけれど、
隅田川からは入ることは出来ないのです。注意。

隅田川テラスはこの先、小名木川に出合って、
またしてもちょっと迂回しなきゃいけなくなるのです。


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で、その角にあるのがこの展望ポイントなのです。
芭蕉記念館の分館、という扱いなのです。


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正式名称は
「財団法人江東区地域振興会
 芭蕉記念館 別館 芭蕉史跡展望庭園

史跡展望公園 - 財団法人 江東区地域振興会

小名木川と隅田川、そして清洲橋。
なかなかいい展望なのです。


午後4:30で閉まっちゃうので注意、なのです。

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そして松尾芭蕉、なのです。
この銅像、午後五時になると向きが変わって、
ライトアップされるそうなのです。
( でも展望庭園自体は四時半に終了…とはこれいかに。 )

芭蕉記念館 - (財)江東区地域振興会


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新しい「古池」もあったのです。
金魚がいたのです。

芭蕉庵の「池」ってのはもともと、
「魚問屋が鮮魚を保存しとくため用の魚の生簀」(後述)
だったらしいので、まぁ多分間違ってないのです。


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それにしても、割といい風景なのです。
次はあの橋を目指すのです。


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展望庭園のすぐ隣にはですね、いい感じのお店があったのです。
右奥に見える門が展望庭園入り口なのです。

そら庵は、
「イベントスペース&ブックカフェ」らしいのです。

そら庵

「奥の細道」のあの人由来の名前だと思うのです。
芭蕉庵があるなら、曾良だって”庵”が欲しいのですたぶん。

Wikipedia - 河合曾良

そして特筆すべきはですね、

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犬OK。

すばらしいのです。


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そのすぐ隣には、おできの神様がいたのです。
正木稲荷神社」というらしいのです。

ここは、
願掛け(おでき関連?)する時は蕎麦を断って、
成就したら蕎麦を奉納するルールらしいのです。


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そのお向かいが「芭蕉稲荷神社」なのです。
お稲荷さんあり過ぎなのです。

こここそが、松尾芭蕉の拠点、「芭蕉庵」なのです。
(文京区のほうにいたこともあり。)

というのはですね、実際はどこだかわからないのです。
芭蕉には、杉山杉風というお弟子さんがいたのです。
この人は、”
日本橋の幕府御用の魚問屋”のご主人で、
つまりお金持ちの趣味人だったので、
芭蕉の経済面での援助を何かとしてくれてた人なのです。

その杉風が、
「あーお師匠、・・・え?住むとこがない?
 あーそれならですね、
 隅田川の向かいにね、わたしのとこの魚問屋の、
 使ってない生簀の番小屋があるんですよ。
 そこ、使っていいですよ。」
ってことで改装して住み着いたのが深川芭蕉庵なのです。

なので、「古池や、の池」=「魚の生簀」なのです。




で、その跡地なのですけれど。

江戸時代にも区画整理とかいろいろありまして、
途中までは保存されていたらしいのですけれど、
現在、”このあたり”というのはわかっているのですけれど、
実際は、正確な場所はわからないのです。
ここじゃないかも、なのです。

じゃあなんで?、なのですけれどですね、
大正時代に大津波がありまして、
その際、この芭蕉稲荷の場所から「蛙の置物」が出てきたのです。

「ほーら!これこそが松尾芭蕉ゆかりの蛙の置物!」

ということで、芭蕉庵はここだ!と決まったらしいのです。


…蛙の置物にですね、
「ばしょう」とか名前が書いてあったのかはわからないのです。
現在はその蛙の置物は、
芭蕉記念館(本館)に展示されているのです。


で、この庵に住み着くまでは実は、
松尾芭蕉は「松尾桃青」という俳号だったのです。

この庵に引っ越した記念に、門人から珍しい芭蕉の株を貰ったのです。
で、珍しいから植えてみたら、わさわさ茂って、
深川界隈で近所の評判になって、
「ああ!生簀のとこの、
 あの芭蕉の樹の家の俳句の人なー、知ってる知ってる!」
的な認知を受けまして、
松尾桃青から「松尾芭蕉」に俳号を変更したのです。

Wikipedia - バショウ


上のほうにあった画像の
「芭蕉葉を 柱に掛けん 庵の月」
という俳句なのですけれど、

これはですね、旅をして帰ってきて、
new芭蕉庵に引っ越した芭蕉が、
(最初の芭蕉庵は旅に出る際に売っ払ったらしい。
 杉風に返さなくていいのか?ん?
 で、売り払ってから旅に出るまでは杉風の別荘に住んでたらしい。
 どこまでいい人や、杉風…。)

旅の間ほぼ三年ほどほっといた、
でも大事な芭蕉を、new芭蕉庵に移植してみたのです。

そして移植に見事成功!あんまりうれしくて詠んだ句、らしいのです。
意訳しますとですね、

「(やったー!”俺の芭蕉”の移植に成功したよ!)
 今度のお月見でも、芭蕉の葉っぱを柱に飾っちゃおう!」

・・・芭蕉、バショウ大好きだったのね、なのです。



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隅田川に戻るために、小名木川を渡るのです。
浦安からの塩の道の、ゴール付近なのです。
「塩の道」についてはこちら。

Wikipedia - 小名木川

萬年橋は昔の、丸い橋をイメージして作られているのです。
橋の上からは富士山が見えたとか。

たもとには昔は、船番所もあったらしいのです。
その後、中川船番所へ移転。

Wikipedia - 萬年橋
Wikipedia - 葛飾北斎 富嶽三十六景「深川萬年橋下」


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隅田川に戻ってきたのです。

清洲橋はかっこいいのです。
ドイツの橋がモデルらしいのです。

Wikipedia - 清洲橋


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この橋の近くで、さっき墓参りした平賀源内が、
エレキテルの実験をしたのだそうです。

それにしても清州橋は絵になるのです。


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橋ばっかり見ている場合じゃないのです。
地元のいぬとの挨拶も忙しいのです。



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隅田川大橋を越えて、
あれに見えるは永代橋なのです。

Wikipedia - 永代橋
永代橋ご紹介/深川観光協会

徳川綱吉の将軍五十歳記念に、
上野寛永寺修理の余った材木使って作られた橋で、
当時、両国近くの吉良邸に討ち入った赤穂浪士も、
泉岳寺に急ぐ途中に、画像左から右へと渡った橋なのです。

橋のそばに、その時赤穂浪士がちょっと休憩した、と言われている
甘酒屋が、いまでも味噌メーカーとして残っているのです。

忠臣蔵で有名な赤穂四十七士とゆかりの地 - ちくま味噌

赤穂浪士の一人、大高源吾の俳諧の師匠が宝井其角
同じく其角に俳諧を習っていたのが、
乳熊屋の初代・作兵衛、という縁なのだそうです。

で、宝井其角のお師匠さんが、さっき見てきた松尾芭蕉なのです。



江戸時代は、隅田川を渡る手段は大抵「渡し」で、
橋は少なかったのです。
そんなところに、便利で立派な橋を作っちゃったものだから、
みんなが使う、すると痛む、すると修繕運営費が嵩んじゃって、
もうダメだ!と幕府が一旦廃止宣言したところを、
民間運営でなんとか運用していた珍しい橋なだったのです。
通行料を積み立てて。

でも、補修が後手後手にまわってしまって、
深川八幡の祭りの際に、大群衆と共に落下、
気がつかずに橋に押し寄せる大群衆が次々落下、
1500人余の犠牲者を出す、という大事故を起こしているのです。

押し寄せる群集に対し、南町奉行所のとある同心が、
橋の入り口で刀を振りかざして
「近づく者は叩っ斬るぞ!」
と脅して被害の拡大を食い止めた、というかっこいい話もあります。

その事故の供養塔が、いまは目黒区の海福寺にあるのです。
でも、なんとなく、忘れられている感じがするのです。

こうして永代橋を目の前にしてもですね、
目黒海福寺は遠いなぁ、と思っちゃうのです。
永代橋と目黒海福寺との関係はこちらに。


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この橋を越えると、なんとなく海を感じてくるのです。


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ここで隅田川は、二手に分かれるのです。
ぼくは道なりに、東のほうに移動するのです。

Wikipedia - 永代公園

川沿いの永代公園は、そのうち突き当たりになるのです。




一旦陸に上がるのです。


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一旦陸に上がって、
巽橋錬兵衛橋、と渡ってですね、


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越中島に渡るのです。
錬兵衛橋の横には、
人と自転車といぬ用の専用橋があるのです。

Wikipedia - 越中島

この橋を渡ると、
とある企業敷地に突入してしまいそうになるのですけれど、



View Large Maps

向かって右のほうに、細い通路があるのです。
これで企業敷地を迂回すると、越中島公園に入るのです。


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越中島公園はですね、
川沿いにずーっと段々になっているのです。

Wikipedia - 越中島公園

次はですね、あの向こうの島に渡るのです。


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東京海洋大学の横を通って、
トラスな相生橋で中の島を越えて、

Wikipedia - 相生橋(東京都)
Wikipedia - トラス橋


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やってきたのです。
月島で佃島で石川島、なのです。

Wikipedia - 大川端リバーシティ21




月島で佃島で石川島な、
この島全体をなんと呼ぶのか、よくわからないのです。


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とりあえずですね、
相生橋の横から川沿いの公園は「石川島公園」だったのです。

Wikipedia - 石川島公園


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でっかいマンション群に見下ろされながらですね、
芝生斜面あり広場ありで、なかなか楽しいのです。


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中央大橋は、ぐわーんとカーブしているのです。

Wikipedia - 中央大橋

隅田川とフランスはパリのセーヌ川とはですね、
「友好河川」なのだそうです。
その縁でパリからもらった彫像が、あの橋桁のあたりにあるはずなのです。
でも、ここからじゃよく見えないのです。
おまけに、橋の上から見るとですね、
背中向けてる(川の方むいてる)のだそうです。
正面から見たい人はですね、
水上バスに乗るといいと思うのです。



3月のライオン (1) (ジェッツコミックス)
3月のライオン (1)
羽海野 チカ





フランスのセーヌ川と友好河川…。

でも、およそ大体の川は海へと、多分必ず繋がっていて、
海は全部繋がっているのだから、
きっとみんな海経由で行き来できる、
だから友達なんじゃないかなぁ?のです。

「寛政の三奇人」の一人、林子平は
隅田川とロンドンのテムズ川は海で繋がっている
(「遠くの国の話じゃない。いつ攻めて来られても知らんぞ!?」)
と言って、
鎖国政策の江戸幕府の人々の、意識改革を促したのです。

Wikipedia - 林子平


で、

さっきの清州橋のモデルは、
ドイツの橋だったような気がするのです。

ライン川とは友好関係は築かなくていいのか気になるのです。



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ぐわーんと曲がっていて、かっこいいのです。


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見上げたら、古風な灯台があったのです。

これは復刻した「石川島灯台」らしいのです。
ただし現在の石川島灯台は、実はトイレなのです。

石川島は、現在で言うとですね、
佃一丁目から二丁目のあたりに相当するらしいのです。

江戸時代は犯罪者の更生・職業訓練施設があったのです。
鬼平”こと長谷川平蔵がですね、
”寛政の改革”の老中、松平定信に献策して設置された、
多分、「世界初の犯罪者厚生施設」なのだそうです。
長谷川平蔵のお住まいはこちら。

Wikipedia - 加役方人足寄場


石川島といえば、「石川島播磨重工業IHI)」なのです。
江戸時代から材木やその他資材の集積場にもなっていたこの石川島、
江戸末期から明治にかけてですね、

そんな石川島に、
幕末の英傑にして問題児、
とにかくカリスマなので”烈侯”とか言われちゃってる、
水戸藩主だった徳川斉昭の肝煎りで設立されたのが現在のIHI。

民間初の蒸気船の建造が行われたりして、
重工業の拠点になって、近代日本の発展に繋がっていくのです。

株式会社 IHI
Wikipedia - 株式会社IHI


そんな石川島播磨重工業(IHI)が移転して、
その跡地に出来たのがさっきのでっかいマンション群、なのです。
その一角には、
「石川島の歴史」を教えてくれる場所があるそうなのです。

株式会社IHI|石川島資料館

でもたぶん、いぬは入れてくれないのです。


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石川島の一角、佃公園なのです。

突然のように割と和風の公園で、
面積比で、やたらとベンチが多いのです。


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佃公園の横には、漁港のような運河のような、
取り残された海のような掘割があるのです。
この向こうが、佃島なのです。

徳川家康が江戸という都市を造ってた頃にですね、
大坂の「佃」から呼ばれた漁民三十三人が住んだのが、
この佃島の始まりらしいのです。



上から見ると、「田」の形になっている、
ここが佃島なのです。


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本能寺の変で織田信長が殺された時、
信長御招待で、大坂は堺あたりで遊んでいた徳川家康は、
地元三河に帰れなくなって困ってしまいます。
そこを助けたのが大坂佃の漁民達、だったらしいのです。
( 有名な「伊賀越え」に至る前段階 )

だから佃島の漁師さんたちは、
幕府や御三家に魚を納入したり、
江戸近海優先漁業権があったりしたそうなのです。


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佃島の守り神、住吉神社なのです。

住吉神社(佃住吉神社公式)
佃住吉構公式サイト:ようこそ佃島へ

住吉さんは古来より、
「海の神様」として信仰されてきたのです。
大坂住吉に本拠地があるのです。

佃島を開いた大坂の漁師さん方が、
本場から招致したのだと思うのです。

Wikipedia - 住吉大社 (本家)
住吉大社ウェブサイト


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・・・の一角に、こんなものがあったのです。
マーキングは禁止なのです。

東洲斎写楽 終焉の地」…?

「写楽の正体は未だ謎」「写楽は二人いた!」
などなどの説があるのに、終焉の地はここなのです。

Wikipedia - 東洲斎写楽

 注・ここは多分、「八丁堀の写楽」説の、
   阿波藩士斉藤十郎兵衛の写楽」の終焉の地。


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謎の佃島を、散策するのです。
観光・散策っぽい人も割とたくさんいるのです。


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地元いぬには挨拶、なのです。
これが散策のマナーなのです。


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老舗の佃煮屋さんなのです。
大人気なのです。

佃島 天安本店へようこそ


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古い町並みが、ゆっくりと新しく変わりつつあって、
でもあんまり急ぎたくないなぁ、という感じなのです。


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細い道、風呂屋の煙突、高層マンション。


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がんばれ神社、なのです。


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きょうは出番がない船、なのです。
「関口丸」は手書きなのです。


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とか言ってたら、路地裏に迷い込んだのです。

それもただの路地裏ではなくてですね、
ただならぬ雰囲気なのです。


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路地の途中に、お堂があったのです。
佃天台子育地蔵尊
というらしいのです。

というか手前の柱みたいなの、
大木の幹なのです。


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由来はよくわからなかったのです。

「天台」ってついてるくらいなのでですね、
天台宗、あとは上野の寛永寺や芝の増上寺あたりと
関係があるのではないかと思うのです。


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路地に戻って、見上げてみるのです。
確かにあれは銀杏の大木の幹だったのです。


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外から見てもでっかいのです。


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道を渡って、月島にやって来たのです。

こっちは佃島や石川島と違ってまだ新しくってですね、
明治25年に出来た土地なのです。

Wikipedia - 月島

そんな月島の真ん中を、すばーんと貫いている商店街、
「西仲町通り商店街」、
通称「もんじゃロード」なのです。

中央区月島西仲通り商店街公式ホームページ
月島もんじゃ振興会協同組合 | 東京月島のもんじゃ情報満載


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途中にある、「月島警察署西仲通交番」はですね、
大正15年の建築の鉄筋コンクリート製で、
都内で一番古い交番だったのです。

数年前に交番廃止になって、いまは交番じゃなくて、
警察OBの人とかが詰めている、
地域の防犯拠点「地域安全センター」なのです。


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GWの「もんじゃの町」はですね、
もんじゃ目当ての観光客が、ものすごく多かったのです。

現在中途半端な時間なのですけれど、
だからたぶん、これからもっと増えるのです。


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それじゃあぼくは、
きょうは早めに切り上げるのです。

月島駅から、
地下鉄の有楽町線に乗って帰ったのです。


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で、池尻大橋に帰って、
九龍酒家でおつかれさん会、なのです。

九龍酒家 クーロンシュカ(池尻大橋) - [食べログ]
ぐるなび - 九龍酒家 ~Japanese IZAKAYA?~


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ぼ、ぼくのメニューなのいのです。
ぼくの”おつかれさん”は…。


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きょうは、隅田川を下ったのです。

橋をいっぱいくぐって、寄り道をしながら、
月島まで歩いたのです。

なかなか歩きやすいコースだったので、
みなさんおすすめなのです。




きょうのコース


(三角で再生。+-で拡大縮小。クリックで詳細地図へ)


基本ルートはこれです。

東京都建設局 : 河川 : 隅田川を歩こう : 隅田川テラスを散策するルート

途中にいくらでもエスケープする方法があります。
隅田川のどっち岸でも、
地下鉄やJRの駅が沢山あって、近いです。
なので完走的なことを考えつつも、
”いつでもドロップできる作戦”でいてください。







おまけその1。

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なにか埋まっているらしい。

どうやらお祭りで使う柱、
乾燥しないようにここに埋めてあって、
三年に一度のでかい祭りで使用する際、掘り起こす、と。


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…いや、ぼくは堀り起こしませんから。





おまけその2。
佃島の端っこにて。
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この形式のゴミ箱、懐かしい風情。





おまけその3。
江東区は新大橋のたもとにて。
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シュナウザー飼ってるんだな。溺愛して。
これで実はダックス飼ってます、とかはないだろうから・・・。






おまけその4。
松尾の芭蕉さん。
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きりっと。

自分、どちらかと言えば「沈黙は金」ではなく、
「銀」のほうなので、
俳句のセンスは常々ないと思っているのです。
「電話番号」とひとこと言えば済むところを、

「タイトでキュートなヒップがシュールなジョークとムードでテレフォンナンバー、へッ!」

と言わなきゃ気が済まない性質なので。

十分間俳句 - 江東区立八名川小学校 校長blog


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でもなぁ・・・なんとなくイメージ違わなくないですか?

みんなが思う松尾芭蕉って、

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こっちじゃない?

でも、当時の人間とはいえ、かなりの長距離徒歩旅行を
何度もやっている人でもあり、
ある程度たくましさがあるはずではあるけれど。

上のほうで書いたとおり、
割とお調子者のかわいい人でもあるので。


「松尾芭蕉の弟子」で「絵の技術がある人」で、
つまり、
「もっとも松尾芭蕉の姿を忠実に描けた可能性のある人」
そんな同時代の漆芸家に、小川破笠って人がいるのです。

Wikipedia - 小川破笠

小川破笠が描いた、
「生前の松尾芭蕉の肖像画」が残っています。

早稲田大学図書館蔵・松尾芭蕉

これを見るとこの銅像、
似てるというかまぁ多分、参考にしたのだろうな、
とは思うのです。

でもこの銅像、
どっちかっつーと”こっちの松尾”に似てないですか?


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ところで、どこ向いてんだか。
お墓のある「木曽殿と背中合わせ」の滋賀県方面?

かつ、夜になると向きを変える、ってのがまた。
意味不明なような怖いような。
ライトアップされるんだよ?これが。





おまけその5。
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白鬚橋。
白鬚の渡し。

在原業平伊勢物語の中で、

「名にしおわば いざ事問はむ都鳥
 わが思う人は ありやなしやと」

と詠ったのは、この渡しを通過中だとか。

Wikipedia - 伊勢物語


画像クリックで拡大

とかいいながら、これは普通のカモメ画像。
江ノ島近くの引地川にて。


”東京都の鳥”つまり「都の鳥」、「みやこどり」、それはユリカモメ。
しかし紛らわしいことに、「ミヤコドリ」という鳥は別にいるのです。

Wikipedia -ユリカモメ
Wikipedia - ミヤコドリ

伊勢物語の文中の、
「白い」「嘴と足が赤い」などの個体表現の特徴などからすると、
「”現代、ミヤコドリと呼ばれている鳥”ではなく、
 ”現代ではユリカモメと呼ばれている鳥”のことを詠っているのだ。」
というのが古典文学界および生物学界の定説。

しかしメンドクサイことに、貝類にもいる。

愛媛県レッドデータブック | 海産動物 | ミヤコドリ

多分これ、業平と直接の関係ないけど。
とても小さいので、業平だって採って食ったりはしないはず。






おまけその6、というか反省その1。

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画像100枚超過ってあっはっはっ。

駄文も今回、ハンパねぇす。

隅田川がいかに偉大な川であるか、
過去から現在まで、いろんなものを見てきたか、
そんなことを再確認したのでありました、とさ。

100枚超過あっはっはっ。
え?二三回に分けろ?それはそうだけどさ、
せっかく100枚以上あるんだからさー、

面白くないじゃん、ねー。



…反省してます。二度とやりません。






theme:東京23区
genre:地域情報


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コメントやご感想などご自由に。
お返事はおいおいするのです。
編集お疲れ様!
楽しませてもらいましたw
2009/06/05(Fri) 01:45 | URL  | OboCafe #-[ 編集]--------
やはり上町の某カフェ関係者ですか。
あなた(方)ぐらいなのです多分。
全部まともに読むのは・・・。

以下、
まともに読んで時間を浪費した、
ブラウザ落ちた!画像多すぎ!
などの苦情受け付けるのです。
2009/06/05(Fri) 23:58 | URL  | kuddy #-[ 編集]--------
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