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こんにちは。チワワのクドさんです。
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きょうは下北沢からぐるっと、世田谷東側周回コースだったのです。







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下北沢駅の南側なのです。
小田急の地下化工事や、下北沢再開発やら、
駅周辺は最近、どんどん変わりつつあるのです。

東北沢~世田谷代田間|会社案内|小田急電鉄


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そんな煽りを受けつつある、
こんな風景なのです。


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ジャズ喫茶マサコ、なのです。
老舗のジャズ喫茶、でもあんまりうるさいこと言わないジャズ喫茶。

東京・ジャズ喫茶マサコ【東京都:下北沢/JAZZ喫茶/まさこ/世田谷区】
マサコ - 喫茶店(下北沢) [食べログ]

でも、9月23日で閉店になっちゃうらしいのです。


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ここの猿(ニホンザル)とは緑道でたまにすれ違うのです。
よく、桜の木の上にいるのです。
ケンカ売られたこともあるのです。

お店なくなったら、
お店はそのうち戻ってくるのか、
猿はどうしちゃうんだろう、とか、いろいろ気になるのです。


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踏切渡るのです。

きっとこの足の下でも、
シールドマシンがゴリゴリじわじわ進んでいるのです。
想像するとカッコイイのです。

シールドマシン - Wikipedia


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羽根木公園を目指しているのです。
野菜無人販売所があったのです。


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さっきまでSFチックなシールドマシンのこと考えていたのに、
とか思う間もなく、羽根木公園到着なのです。
梅まつり以来なのです。

世田谷区 羽根木公園
羽根木公園 - Wikipedia


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きょうは通過点なのです。
ちょっとだけ休憩するのです。


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北沢川緑道に乗って、
豪徳寺(若林)方面を目指すのです。


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豪徳寺の商店街あたりで見かけた、
商店街運営の休憩所らしき場所なのです。
商店街の空き店舗を、綺麗に上手に利用しているのだと思うのです。
時間があればのんびりしたいところなのです。


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世田谷線渡るのです。
このあたりの世田谷線沿線は、紫陽花がいっぱいなのです。


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あ、なんとなく疲れてきたのです。
さっきの休憩所で休んでおけばよかったのです。


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近くの世田谷八幡宮に寄るのです。

世田谷八幡宮 - 東京神社庁
世田谷八幡宮 - Wikipedia


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ここは静かなのです。
落ち着くのです。


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お正月以来なのです。
あの初詣の喧騒が、嘘のように静かなのです。
2009年度の初詣の様子はこちら。


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階段も誰もいないのです。

こんな日のほうがですね、
神様はお願い事をじっくり聞いてくれるような気がするのです。


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…あ。

後ろ向きに表示されても、もう遅いのです。


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ちなみに、なのです。
この世田谷八幡宮の最寄り駅は「宮の坂駅」なのですけれど、
神社の横、たこ焼き屋との間のこの道、
この坂道こそが「宮の坂」なのです。

宮の坂駅 - Wikipedia


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駅まで行ってみるのです。
地元いぬと挨拶するのです。


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宮の坂駅にはですね、
世田谷線の古い車両が保存されているのです。

宮の坂駅付近の主な名所・旧跡 - がんばれぼくらの世田谷線
東急デハ80形電車 - Wikipedia


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動いてないから、こんなところにも居ても平気なのです。


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The金属、って感じなのです。


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世田谷線のこの型の車両はですね、
このにあるのと、
電車とバスの博物館に一両、の二つしか残ってないのだそうです。
(一部パーツだけなら他にもあるらしい。)


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その頃は「玉電」と呼ばれていたうちの、
一部残った区間が世田谷線なのです。

東急玉川線 - Wikipedia




でもこれは実は、玉川線を走っていた車両が、
江ノ電に引き取られて走ってたのを、
また引き取って保存してあるらしいのです。
だからですね、「江ノ電の古い車両」でもあるのです。

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というわけで次は、いよいよですね、
中に入ってみたいと思うのです。

入場無料なのです。


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がーん、なのです。

「どうぶつ禁止令」が出ていたのです。


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入り口から内部を見学するのです。
割と近代的なのです。


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動物である人間が、お食事中だったのです。


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もうどこへも行けない電車。
でも、みんなが来てくれるし、乗って遊んで寛いでくれるのです。





宮の坂の駅を出ましてですね、
いつもなら豪徳寺方面に行くのですけれど、
きょうは上町方面に行くのです。

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ぷらぷら歩いてもすぐ、
目的のお寺の碑があったのです。


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ここから続くこの道、
これが多分、往時の参道なのです。


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着いたのです。なんだか地元いぬも待っているのです。
竹林にわっさわさと覆われているのです。


ここは「勝光院」というお寺なのです。

室町から戦国、安土桃山時代頃に世田谷の領主だった、
世田谷氏(吉良氏)の墓所があるのです。
すぐそこの、世田谷城の城主で、
さっきの世田谷八幡宮を造営したのも吉良さんなのです。

世田谷氏は正確には「吉良」さんと言うのです。
あの吉良上野介とは遠い親戚に当たります。
世田谷吉良さんは奥州吉良氏
上野介さんは三河吉良氏という家なのです。
三河吉良氏=兄、奥州(世田谷)吉良氏=弟、という関係なのです。

Wikipedia - 奥州吉良氏


源氏正統の、室町幕府の足利さんの一族で、
「足利本家が絶えたら吉良が継いで、
 吉良にも誰もいなかったら今川(了俊や義元の)が継ぐ」
と言われていたくらいの由緒正しい家なのです。
ただ、どっちの吉良さんも血筋はよろしいけれど、
すっごい勢いの大大名!とはなれずじまいで、
歴史の流れをどんぶらこ、と流され過ごしていたのです。




場所はここなのです。
すぐ東には豪徳寺と世田谷城。
北にはさっきの世田谷八幡宮。


さて、
室町も終わりかけの戦国時代な関東では、
小田原の北条さんがすごい勢いで台頭して、
旧来の勢力をどんどん圧迫していた時代なのです。
でもぽっと出の小田原北条さんは、
世田谷吉良氏の「権威」を取り込んで、
それをも利用しようとしたのです。

北条氏の当時のボス・氏綱は
自分の娘を吉良頼康の妻として送り出すのです。

北条氏綱 - Wikipedia


それでも、圧倒的な実力差があり、
嫁の父親であるはずの北条さんのボス・氏綱を
当時の吉良氏当主・吉良頼康は「氏綱」と呼び捨てにしてて、
逆に氏綱は娘婿であるはずの頼康を
「吉良殿様」、「御所」なんて尊称しまくりで呼んでましたのです。
ケンカしたら瞬殺されちゃうくらいの勢いの違いなのですけれど。

でもそれがですね、
「関東では新参者の北条」と、
「関東では知らぬ人のいない血筋の吉良さん」の権威の差なのです。

たとえばですね、

北条氏が支配した土地では、
公文書に北条氏公認の印鑑を捺すのです。
どこの大名家でもやっている、
「俺の命令。俺の土地」という証明なのです。

ところが世田谷では、吉良氏の印鑑が独自に使われていたのです。
これは北条さんの王国の中に、
もうひとつ独立王国があるような状態なのです。
普通は許されない状況なのですけれどですね、
吉良さんがやることは特例だったのです。

そのくらい、なにより”権威”があったのです。

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お寺の建物は新しめだけれど、風格漂うのです。


権威はあっても権力勢力はちいさかった、
とは言うのですけれどですね、そうでもない話もあるのです。
北条氏綱は、戦災で荒廃した、鎌倉の鶴岡八幡宮の造営に着手したのです。

鶴岡八幡宮(公式)
鶴岡八幡宮 - Wikipedia

鎌倉といえば、武家政権第一号の、鎌倉幕府の本拠地なのです。
ここの、源氏所縁の鶴岡八幡宮を「オレが修理した!」となればですね、
イコール、
「オレ武家のリーダー的な?少なくとも関東のリーダー的な?」
というムードが漂うのです。
漂わせる目的なのです。


というわけで各地の勢力に「おーい、手伝えよ」と、
手伝いや寄付を募集したのです。
これはでも、策謀戦術的なものでもあるのです。
これに従うイコール、北条氏をリーダーと認めて傘下入り、
これに従わないイコール、北条氏の次の攻撃目標、ということなのです。

この造営に当然、源氏で足利な名族・吉良頼康も参加したのです。
氏綱の権威も上がるというものなのです。
おまけにそんな名家の当主が、自分の婿なのです。

ところがですね、たぶん、吉良頼康は大失敗してしまうのです。
はりきってですね、
造営に必要な巨木用材を大量に、鎌倉材木座へと搬入したのです。
かかった人足のべ五万人とも言われているのです。
しょぼく見えても名家名族、
世田谷で頑張ってきた実力見せつけちゃったのです。

警戒されちゃうって、それ。


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鐘楼と竹林なのです。
この竹林は「せたがや百景」に選ばれているのです。


鐘楼に梵鐘があったのです。
これは戦争中に応召されたのですけれど、
なぜか鋳つぶされずに他所に保管してあって、
ほんの十年ほど前に無事に戻ってきたらしいのです。

元禄11年に「加藤鋳物師」の一人、加藤吉高の製作らしいのです。
碑文谷の円融寺にあったのも、加藤鋳物師の製作だったと思うのです。

加藤鋳物師は、
江戸時代の八王子の、鋳物工集団の名前なのです。
江戸を中心に加藤鋳物師の製作した鐘は、各地に残っているのです。

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元禄11年ってことはですね、
あの越後浪人・堀部安兵衛(当時は中山安兵衛)がですね、
元禄七年に高田馬場の決闘に参加して江戸の有名人になって、
それからいろいろあって、
播州赤穂の浅野家の堀部家の婿養子になって、
元禄十四年に松の廊下で浅野内匠頭が吉良上野介に斬りつけている、
そんな間のことなのです。

ちなみにこの元禄11年に、尾張藩主の正室(将軍家光の娘)がお亡くなりになりまして、
弔問の使者として、”有名人”の安兵衛が名古屋に出向いているらしいのです。


勝光院は江戸時代にはですね、
「源氏である足利氏である吉良氏の由緒正しいお寺」
ということでですね、ちょこっと領地も貰っていたらしいのです。



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さて、墓地のほうへと移動するのです。
肝心の吉良氏墓所は石段の下、門の手前にあるのです。


さて、さっき北条氏綱が、娘を送り込んだ、と書いたのです。
でもこの人、実は再婚なのです。

高源院(崎姫)というこの人は、
最初はこれまた政略結婚でですね、
駿河の今川氏の一族の、堀越貞基という人に嫁いで、
氏朝という子供を産むのです。
この堀越(ほりこし)さん、実は駿河のさらに隣の遠江の今川さんで、
つまり今川一族のさらに分家なのです。
堀越公方との混同が時々あるので注意。)

堀越氏 - Wikipedia

つまり北条氏綱、
隣国駿河の今川さんちにも、なんらかの手を回していたのです。

ところが駿河今川家の家督争いの内紛で、
堀越氏は、負けた側に着いちゃっていたので没落、なのです。
ちなみにこの時勝った後継者が、あの海道一の弓取りにして、
織田信長の電撃戦に負けちゃった今川義元なのです。


で、貞基の死後、高源院(崎姫)は一旦実家の小田原に帰り、
これまた政略結婚で吉良頼康と再婚したのです。
(一応、運命の恋愛結婚伝説みたいなものもあるのですけれど・・・)
しかし、二人の間には子供がなくて、
堀越氏の子供の、あの氏朝を養子にして、吉良家の家督が相続されるのです。
「足利に跡継ぎない場合は吉良、吉良にもなければ今川」
というルールからすれば、
「吉良の跡継ぎがないから今川(の分家)から。ちょうど良かった!」
というのは、
他所からいきなり持ってくるよりも随分ルール通りなのです。

でもこのことによってですね、
「あの伝統の世田谷吉良氏」の権威はやっぱり少し低下しちゃうのです。
養子だしなー、という感じで。
実子が数人いた、という史料もあるのです。
あんまり悔しいからきっと、
地元で鷺草伝説とか生まれちゃったのだと思うのです。

常盤姫という側室が身篭っていたのに、
常盤は北条に遠慮して吉良家を逃げちゃった挙句に自殺して、
死んだ跡から白い花が咲き、空へと飛び立った。
など、話のパターンはいくつかあります。

「世田谷区の花」が「鷺草」なのは、ここまでさかのぼる話なのです。

サギソウ - Wikipedia


さらに北条さんは次の網を被せるのです。
氏朝にも正妻がやって来るのですけれど、
今度は北条氏綱の息子、北条三代目・氏康の娘だったのです。
北条氏の、「世田谷完全取り込み作戦」なのです。

北条氏康 - Wikipedia


さらに念入りに、ここに北条幻庵なる人物が登場するのです。

小田原北条氏の一族にして長老、
生き字引、作戦参謀、知識人にして文化人、
趣味は「馬の鞍作り」というわけわかんない人。
小田原北条氏初代の北条早雲の三男で、
それから早雲、氏綱、氏康、氏政、氏直と歴代全員に仕えて、
「あんたいつまで生きてるのよ」という突っ込みが入るような人。
(秀吉に滅ぼされる八ヶ月前に死亡。生きてたら結果違ったかも。)

北条幻庵 - Wikipedia

そんな幻庵が、氏康の娘が吉良氏朝に嫁入りする際に、
北条幻庵覚書」(「幻庵おほへ書」)
として現代に伝わる”マニュアル”を渡しているのです。
全部で二十四条もあるその項目は、
商人や家臣への接し方、日々の生活年中行事云々から、
「姑を尊重しろ」という項目まで。

お節介といえばお節介かも知れないのですけれど、
いかに世田谷吉良氏を重要視していたか、
ということなのだと思うのです。
(「躾が悪いお姫様のためじゃねーの?」とかいう説は無視)


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さぁ、そんな吉良氏の墓所は、こんな感じなのです。

豪徳寺の井伊家墓所や、
教学院の大久保家墓所と比べると小さいのです。
でも、とても美しく、整然としているのです。


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世田谷吉良氏はその後、
小田原北条氏の滅亡と一緒に逼塞してしまいます。
吉良氏朝は千葉に逃亡していたのですけれど、
そのうち世田谷弦巻の実相院に隠棲したのです。

その後子孫は「名家・名族好き」な徳川家康に拾われてですね、
氏朝の子供、義久が旗本になるのです。
横浜のほうにあった領地名から「蒔田氏」として。

というのもですね、
ここで最初のほうに書いた「吉良氏は二流いる」が帰ってくるのです。
奥州吉良氏つまり世田谷吉良氏とは別の家、「三河吉良氏」は、
いろいろあった末に早い段階から、
同じ三河の徳川傘下になっているのです。
同じ三河でラッキーだったのです。
方や、北条氏が滅びたあと、
関東に移ってきた徳川家康に「拾われた」世田谷吉良氏。

なので、「吉良って名前は一家だけでいいよ」という感じで、
世田谷吉良さんは「蒔田と名乗れ」とされてしまうのです。
そもそもスタート時点で実はですね、
三河吉良氏=兄、奥州(世田谷)吉良氏=弟、という関係なのです。


で、三河吉良氏は江戸時代、
「格式ある家の子孫が代々勤める」、”高家”というカテゴリに入ります。
方や世田谷吉良氏は普通の”旗本”。

高家 - Wikipedia

高家というのはですね、
江戸幕府の儀式などを古式に則って行う係を勤めることのできる、
「昔から続く名家」とかでできている、
「万石ないから大名じゃない、旗本なんだけど、
 一般の旗本とは違って、下手な大名より格式ある家」
というカテゴリなのです。


ところがここで、三河吉良氏にあの人が出てきちゃいます。
そう、あの有名な”吉良上野介”なのです。

浅野が悪い!いや吉良だって!という話はさておき。
これにて三河吉良氏はお取り潰し、
伝統の「高家・吉良家」がなくなっちゃったのです。


ここで、蒔田氏の子孫が登場するのです。

吉良義俊 - Wikipedia

当時は一般旗本だった蒔田義俊は幕府に対し、
「名家吉良家が消失するのは良くないと思います。
 というわけでわたしも吉良です。
 わたしが高家になるのはどうでしょう?」
と進言します。
幕府もですね、高家吉良家がなくなるのはちょっと困る。
とかいろいろ考えて、この義俊を「吉良」姓に復帰させて、
高家入りさせたのです。
これにて奥州(世田谷)吉良氏、完全復活。


一方、上野介の三河吉良氏はですね、
上野介弟の孫が吉良に復姓を許可されて、
こちらも吉良氏復活したのです。でも高家ではなくて一般旗本。


ちょうど、
三河吉良氏と奥州吉良氏の立場が逆転した形になるのです。
また、義俊が高家吉良氏となった年、
浅野内匠頭の弟、浅野大学も旗本となって、浅野家再興しているのです。

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割と新しい作りの墓なのでですね、
江戸時代以降の蒔田氏・吉良氏の墓が主だと思うのです。

せめて吉良義俊の墓を探したのですけれど、
ちょっと見つからなかったのです。


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一角には、ちょっと無造作に置かれた古い墓石。
だから一回綺麗に再整備されているのだとも思うのです。


現在も、吉良氏の御子孫の方がやってくるとか聞いたのです。

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聞いた相手はキミ。

お寺に入る時にいたキミ、ここまでずっと着いてきていたのです。
ガイドありがとう、なのです。




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三軒茶屋に移動したのです。
うわさの、新しいほうの鯛焼き屋をみつけたのです。

たこ焼き、たい焼き、お好み焼きの【焼きたて屋】 - 株式会社かめや


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「Zazie Burger」がなんだか雰囲気変わっていたのです。


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いつの間にか、バー形態になっていたのです。

立ち飲み屋 Z-B ゼットビー 三軒茶屋


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ここはいぬが入れる店だったかなぁ?とか、


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あれは変わらない「ち」のマークを仰ぎ見たりしながら、


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商店街も変わっていくなぁ、と、
栄通りを下るのです。


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あー、あのお店も気になるのです。

red cloverのひとりごと


そんな感じでですね、世田谷公園経由して帰ったのです。

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きょうは、下北沢から豪徳寺、宮の坂、三軒茶屋を回ったのです。

新しくなる世田谷、歴史の彼方の世田谷、
全部ひっくるめていまがあるのです。








おまけ。
コーラ三連発。
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ま、まだ売ってたんだなこれ。
「私流にいえばヴァージンコーラは世界で最高のコーラです」
By リチャード・ブランソン
という、「少なくとも世界で一人は”世界最高”と認めている」コーラ。

ヴァージン・コーラ - Wikipedia
350 ヴァージンコーラ|炭酸・その他飲料|商品情報|ポッカコーポレーション

っていうかポッカじゃないすか。
ポッカと言ったらポッカコーラとかRCコーラとか。

ロイヤルクラウン・コーラ - Wikipedia

中身は昔のヴァージンコーラ?それともポッカコーラ?
飲んでみたけど、そんなこと判断できるほどマニアじゃないし。
残念。


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サークルKサンクスにて。
アサヒがコーラ?見たことないよこれ。

なんでも、サークルKサンクス限定のものらしい。
味はシンプル。なのでよく冷やして飲むべし。

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で、例のカテキン入りコーラ。

王者がなにやってんだ、という話。
男性向けの黒い「ZERO」のほうは割と売れているとか。
で、
その陰に隠れてよくわかんなくなってた、
「diet」「ノーカロリー」「プラス」の製品をてこ入れしたのでしょう。
でも、その方向正しいかなぁ?うーん。

コカ・コーラ プラス - Wikipedia

なんか、迷走してるっぽい・・・。





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